『あたごさまに まいって』フリーライター赤尾めぐみ氏【新宮小わらべうた講座 レポート】

NPO法人 飛騨高山わらべうたの会

『あたごさまに まいって まゆざか おりて』

高山市立新宮小学校。

音楽室の中いっぱいに、
NPO法人飛騨高山わらべうたの会代表理事 岩塚久案子(いわつかくみこ)さんの、
あたたかい歌声が響いた。

わらべうたの旋律とは、
どうしてこんなに、
人をノスタルジックな気持ちにさせるのだろう。

『めやによって はなやによって はないっぽんぬすんで』

この、あたごさまのうたのあたごさまとは、
高山市にある東山神明神社のことである。

『ほうぼうで しかられて あれくちおしや』

歌に合わせて頭を撫で、
そこから下へ下へ相手の顔を触れてゆき、

『むねんのことじゃ おへそがわらう』

最後は
胸とおへそをくすぐる。

岩塚さんの歌に合わせて
その動きを行っていた一年生の子どもたちは、
くすぐる方もくすぐられる方も、弾けるように笑った。

「わらべうたは、豊かな自然と、人と人の気持ちが折り重なるところから自然に生まれてきたもの」
これは、岩塚さんの言葉である。

そして、「歌を聴く」「触れ合う」「遊ぶ」という
「快い感覚」とともに、
わらべうたを通して大切なことがまるごと伝わっていく。

わたしが今見ているこの時間を言葉にするとしたら、
そういうことだ。

現在、
低学年の音楽の学習指導要綱では三時間のわらべうたの学習が必修となっており、
「ぜひ地元のわらべうたを」
との依頼を受け、
この一時間が実現することとなった。

たった一時間の授業ではあるが、飛騨のわらべうたが飛騨の子どもたちの心に受けとめられていく価値は重い。

子どもたちに物事を教えるプロフェッショナルたる先生方が、ぜひ本物を。と考え、わらべうたの会へ依頼をしたということ。

偶然にも同じ一年生の娘を持つわたしは、それが嬉しかった。

うちのちゃめこ、もちつきのうた、一つひよどり、お嬢さま おはいり。

遊び歌以外にも、
数え歌を歌いながら
木で作られた積み木を使って遊んだり、
縄遊びの歌で縄遊びをしたり。

内容は、実に多彩だった。

わらべうたを伝えている岩塚さん自身も今という時間を心から楽しみ、
子どもたちもそれを、
とても豊かに味わっているように見えた。

今という時間軸も、
あるのかないのか分からない。
過去現在未来、
すべてが繋がれている。
そんなふうにも感じられた。

「これで、音楽を、終わります。ありがとうございました!」
「ありがとうございました!!」

一時間は、
あっという間だった。

「たのしかった!」
「おもしろかった!!」

一気に現れた物凄いエネルギーは、授業を終えて更に増幅した気がした。

廊下いっぱいに反響音を残しながら、それは一気に去っていった。

場所を変え、
岩塚さんからお話を伺うことにした。

わたしは感動していた。

わらべうたを一緒に楽しんだだけなのに、
子どもたちに飛騨の自然や文化、関わりや豊かさやあたたかさが伝わっていった。

わたしは、
はじめてわらべうたに対してそういう意識を持った。

「あたごさまのうた、すごくいい歌ですね」
「そうでしょう?子どもの顔をそっと撫でてね。愛してるよっていう指のぬくもりが伝わってくる歌だよね」

この歌について、岩塚さんは色んなことをわたしに教えてくれた。
このことから、岩塚さんが一曲一曲をしっかり理解し、愛情を持ちながら丁寧に伝えていることが分かる。

実は、わらべうたの会が今日のような形になることは、立ち上げ人の岩塚さんも想像してないことだった。

わらべうたの会は
もともと童謡コンサートのために結成された会であり、
そもそも岩塚さん自身、
飛騨出身ではない。

しかし、
求められるのに応える形で、何も知らなかったわらべうたを一から地域のお年寄りに学び、その延長で歌集も生まれる流れになった。

「このあたごさまの歌は、六十代ぐらいの方でも知っているひとが多くてね。お年寄りの施設なんかに行って歌うと大合唱になるの」

その活動は、
想像も垣根も越えてどんどん広がってゆくこととなったのである。

「前は自分たちの手づくりで冊子を作ってね。学校や保育園に配って、ほしいって言ってくださる方に届けに行って。おばあちゃんが泣いて喜んでくださったりね。もうそれが、うれしくって」

活動の原動力は、
飛騨のわらべうたを伝えていくことが家族や地域、過去と未来を繋いでいくことになるという想い。

それは、わらべうたが繋いでくれた、人と人との関わりから生まれた想いだった。

飛騨には、
百種類以上のわらべうたがある。
その数はとても多い。

「わたし、よそからお嫁に来たから分かるんだけど、地域の繋がりが深い土地柄だからこそ、これだけの歌が生まれたんだと思う。自分の子どももよその子どもも一緒みたいなね。あたたかい地域だよね」

岩塚さんがわらべうたの神様に選ばれた理由が、こんな話を聞いているとよく分かる。
あたたかいものをあたたかいと感じ、美しいものを美しいと感じる豊かな心を持っている。

今までの活動のほとんども、無償で行われてきたものが多い。
しかし岩塚さんは枯渇するどころかどんどん輝きを増していた。

「久案子さん、生の歌声と、機械の歌声とは、なにが違うのだと思われますか?」

それは、
わたしの中で言葉にしきれなかったので、聞いてみることにした。

「その違いはね、浸透の仕方だと思う。生の歌声って、耳だけじゃなく肌で聴くでしょう?」
「……肌で聴く」

確かに身体中で歌を聴いている感覚はあった。

「うん。やっぱり生の歌声はいいよね。あと、今は機械を通してのアプローチが増えているけど、お母さんの声が子どもはいちばん安心するから。だからお母さんたちは自信を持っていいし、本当は、色んなものに頼らなくてもいいと思う」

子どもにとって。

というところにフォーカスしていたわたしは、
その不意打ちに思わず涙ぐんでしまった。

「そのままで大丈夫」
と、その言葉を聞いて、認めてもらえた気がしたのだった。

わらべうたは、
わらべのうたと書くが、
決して子どものためにだけ存在するのではない。

わらべうたの会がこれまで続いてきたのも、
わらべうたを子育てに生かしてもらいたいという願いが強かったからである。

今日の授業の中にも、
実はたくさんの願いが込められていた。

「一つひよどり」
という数えうたでは、
飛騨地域のさるぼぼという人形をモチーフにした、
「つみぼぼ」という名前の木の人形を歌に合わせて自由に積んでいった。

「木育を採り入れてみえるんですよね。なぜ木のおもちゃを?」

と問うと、

「まず、飛騨を好きになってほしいから」

明快に答えが返ってきた。

「地域の木を使うことで、
あそこの山にある木だよとかね。そんなふうに思えたら自然もとても身近に感じるし。自然のことはみんなにも責任があるんだよって、そういうことをうっすらとでも感じてもらえたらと思って」

そのまなざしは、
ずっとずっと先の未来にまで届いている。

いまはうっすらと刻み込まれた記憶かもしれない。
しかし、いつかそれは、ふとしたときに甦るのだろう。

だからこそ、
岩塚さんは先程の授業でも
全力で今に集中していたのだ。

「自分の夢は夢であるんだけれども、自分の住んでいる地域をどういうふうにして次の世代に残していくかっていうことを、わたしたちの責任として次へ繋いでいきたいなと思って」

わたしたちの責任。

岩塚さんはそう、表現した。
素敵な言葉だなと感じた。

ーーーわたしたちは、
わらべうたを聞いたときにノスタルジーを感じる大人になった。

なくしてはいけないもの。
変えてはいけないもの。
いくら時代が進歩したとしても、そういう確固たるものは存在する。

わらべうたとは、
目に見えない、
しかし決して変わることがない、
心で感じることができる
ふるさとである。

そのふるさとには、
生まれた土地の記憶と、
大好きなあの人の笑顔とぬくもりと、
「自分は愛されていた」
という記憶が、
そのままに留められている。

わらべうたとはそういうものなのだと分かった今、
なんとしてでもこれを残したいと思った。

『あたごさまに まいって まゆざか おりて』

わらべうたの、
あたたかい、その調べを。

未来の子どもたちに残すのも、
わたしたちの大切な責任なのではないだろうか。

ライター 赤尾めぐみ

NPO法人 飛騨高山わらべうたの会
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